団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

一週間

久々に会社へ行った。いつもと違う場所で仕事をすると、それはそれで捗るものだ。…会社に行ってそんな感想が出てくるくらい、リモートワークが僕の生活スタイルに定着してきているのかもしれない。

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とにかく仕事をして、急いでご飯を食べて、だけど仕事のことでぼうっとした不安を抱いているので味にもあまり意識がいかなかったり、泥のように眠って起きて、それからコーヒーを飲んで無理やり頭を叩き起こす、そんな一週間だった。

 テレビもほとんど見なくて、社会の出来事を知る術は日経新聞電子版の通知と、ツイッターぐらいだった。最近はいろいろな人の訃報に触れる。テレビで見たことがある人の死のニュースを聞いて、驚いた。

 死はぼんやりと怖い。自分に希死念慮があるわけではないのだけど、自分と死との距離感が本当はあまり良くわかっていないのではないかというところが怖いと思うようになった。

 訃報によせてまさか…というコメントを多く見かける。死を考えているだなんてことは、どんなに側で見ていても、窺い知ることはできないのかもしれない。と同時に、自分こそ自分の死というものがどれほど近くに迫っているのか、というのも自覚ができないのかもしれないなと感じた。

 自分をちゃんと意識的に甘やかしていかないといけないな… 午前2時まで仕事をしている場合ではない。明日は少し遅めに起きて、コーヒーをゆっくり飲んで、ジョギングをして、そういうのんびりした休日にしたい。

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夕日を浴びた

自宅で仕事をすることが多くなった。テレワークがすっかり日常になりつつある。毎日通勤してた時のことを思うと、肉体的なダメージがいくぶんか減ったような気がする。気がするだけかもしれない。

 夕方ごろ、コンビニまで散歩に出かけた。夕日を久しぶりに顔から浴びるとやたらにまぶしい。光につつまれる感覚に目覚めるとでもいうのか、腹の底でくたばっている僕の野性が寝返りをうった。

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虫の声に囲まれて

午前2時になっていた。こんな時間まで仕事をしていた。

網戸越しに虫の声が聞こえる。疲れた。もう少しこのまま横たわってたいのだけど、目を開けてられなくて眠ってしまうんだと思う。

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サイダーを買う

 さあちょっと飲み物でも買いに行こうかな、と思ってリュックを探って初めて気付いた。財布、家に忘れた。

 

 さいわいQUICPayを普段使いしているので、コンビニまで足を伸ばせば買い物はできるし、さほど不自由はなかった。

むしろ、QUICPayの習慣ができていたから財布を忘れたとも言えるかもしれない。

 結果からは因果がわからない。

 

 コンビニではオレンジ色のサイダーを買った。

口をつけると水玉のような丸みが舌先ではじけた。さわやかに口元をするりと滑りこんできて、人工甘味料の甘みが鼻から抜けていった。ファイブミニに似ていた。

淀川

 人に感情をぶつけるのも、ぶつけられたりがあって、今週は心身共に重たくなってしまった。金曜日は出社していたので、久しぶりに22時台の電車に乗った。人がみっちり座っていた。電車の中ってこんなに明るかったっけ。何を見るでもなくぼうっと立っていた。みな白いシャツや明るい色の服を着ていて、クーラーの効いた車内はいっそう青白く見えた。もう夏に一歩踏み込んでいるんだな。

 

 換気のために開いた小窓から風が吹きこんできた。

マスクの隙間から少し水気を含んだ水草のような匂いがした。

 

 電車は淀川を渡り始めていた。

 

 夜の淀川は水面にいっさいの闇を溶かしたようにあやしく静かに揺れている。さっきまで、きらきらした梅田の明かりの中にいたのがもっと前の話だったんじゃないかとすら思えるくらい、自分があやふやになるくらいの夜が広がっていた。

 

目をつむると、私の体は川に浮かび、鉄橋をうるさく渡る電車を見上げているような気がした。

 

 いくら足をゆらゆらさせても、一向に底の知れない川だということを感じるばかりで、恐ろしさばかりが膨れていく。

爪先からほんの30センチが川底かもしれないが、数メートル先が川底かもしれないという可能性もまた同時にある。じっとしていると次第に神経が水に慣れてくるのだけど、そのぶん手先にまとわりつくわずかな水流の歪みであっても恐ろしくなり、ただ水の中に一体となってたゆたうことしかできなくなっていく。浮かんでいるのか、どちらが天地かはわからない、ただ落ち着くべき体勢に落ち着いていき、流れる、あるいは沈んでいくようなイメージが広がっていく・・・

 

 体の底がぶるっとなって目を開けるともうとっくに淀川は渡りきっていた。息を止めていたらしく、少しだけ息が上がっていた。