街に自分をばらまく
生まれ育った街には横断歩道の白線や、歩道の柵のひとつひとつに記憶がしみ込んでいる。
今日は実家の近くをジョギングした。最近ぜい肉がついてきているので、めちゃくちゃ痩せてやろうと思っている。
走っていると少し汗ばむ程度の気温で、風が抜けて気持ちよかった。走っていると頭の中に高く積み上げた雑事ががらがらとくずれていって、自分の幼少期からの記憶だけが残った。昔あったスーパーの前を通ると、その時の映像がすぐに浮かんだ。12歳で、夏の夜で、悲しい気分だった。夜の中の明るいスーパーを眺めながら、うまく友人関係を築けないことで苦しんでいた僕が脳裏に現れた。だけどいちいちその時の感情はもうほとんど正確には思いだせない。
ニュータウンなのでたくさんの団地がある。僕は団地に囲まれてずっと暮らしてきた。
一緒に遊ぶ友達もみな団地に住んでいた。戸建ての家の子もいたが、そっちのほうが少なかった。
小学生の頃、遊びにいった藤原君の家も団地だった。
古い塗料の匂いのするエレベーターのドアが閉まると、ゆっくりと上へあがっていく。クリーム色の壁に囲まれて、ぐらぐらと揺れながら11階へ着くと、風が吹き抜ける屋根のないエレベーターホールに出た。
こんな高いところに藤原君は住んでいるのか、と思うと、いつも学校で会う藤原君の顔がぼやけていくような感じがした。
地元のニュータウンを訪れると、必ず藤原君の住んでいた高層団地に上ることにしている。住民ではないので無断侵入のような気がするが、地元だからいいか、とひとり納得している。
窮屈なエレベーターを出ていちばん高い共用廊下から眺める景色は、大阪湾のそのまた向こうの淡路島まで続いている。ぼやけた稜線が見える。風が強い。眼下の木々が海藻のように揺らめている。どうでもよくなって、ただ共用廊下に立ちつくした。
高いところから見ると、この街には自分の記憶をたくさんばらまいてきたことがよくわかる。ここで生きてきたんだ、こういうことを考えてきたんだ、と過去の自分と今の自分がつながる感覚がする。だから僕はニュータウンという街が好きだ。