団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

街との距離のとりかた

 最近は梅田のカフェによく行く。人の空いてるカフェがあれば入り、一番安いコーヒーを飲みながら資格の勉強をしている。梅田の地下街のチェーン系のカフェに座って、勉強が煮詰まってきた頃にアイスコーヒーをちびちび飲みながら、行き交う人々をぼーっと眺めるのは気持ちいい。たくさんの人が通る地下街の通路を川の本流とするなら、それに面したカフェの中は、川べりの石で囲われた小さなよどみだ。

 

 コーヒーにミルクを垂らすと、白く同心円状にグラデーションを描いて消えて無くなっていく。注いだところは最も白く、遠く離れていくごとに茶色がかっていき、カップの縁までいくと、何事もなかったかのように相変わらず深い黒をたたえている。

 

   街も同様にグラデーションがかかっている。

 

 大阪市内を散歩をしていると、はじめのうちは住宅の立ち並ぶ風景ばかりだったりするが、次第に高層ビルの並ぶビジネス街や商業地域に入りこんでいることに気付くことがままある。都市計画のうえで住宅専用の地域や商業施設専用の地域など、それぞれが地図上の線を引くようにはっきりと分けられている。だけど実際に歩いてみると、その"変曲点"はかなり目を凝らさないと見落としてしまうくらい、街はゆるやかに拡がっている。

 

 カフェを夕方ごろ出て、ぶらぶらと中津(大阪市北区中津)を経由してぐるりと梅田へ戻ってきた。

 中津は大阪の中心地の梅田駅から一駅ほどで、歩いても行ける距離にある。

中津には市営団地があって、交通の利便性の良さのためか、子供のいるファミリー世帯も多くいるようだった。

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団地の一階が保育園になっている。何人かの母親が談笑していた。

営団地はその築年数の古さなどもあって、寂れた雰囲気になってしまうことも多いが、中津団地は保育園があるおかげもあり、子どもの姿がたくさんあって良かった。

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白い静謐なファザードの向こうに梅田のタワーマンションが見えた。

この構図は東京の西青山団地でも見かけた。 

僕は、団地の良さというのはグラデーションに染まらないところにあるんだと思っている。

都市部の中心地であっても、まるで突然生まれてきたようにぽつんと建つ公営団地がたまにある。西青山団地や、中津団地のように。

 "変曲点"の見えない街、というのは言わば逃げ場のない街だと思う。どこまで行っても社会に、世間に、常識に、疲労に付きまとわれるような感覚がして、いったい何に苦しんでいるのかさえわからなくなってしまう。

 だけど団地が建つ場所は、一瞬だけど街の連続性を絶ちきってくれて「ウチ/ソト」の間にふっと「ウチ/団地/ソト」と入り込んで、社会へのクッションになってくれる。そこから距離をおいて社会を街を眺めなおすことができて、ようやく息継ぎのできる空間が生まれる。

 

 団地は、変わってゆく街に対抗する唯一の要塞なんだと思う。

 街をひとつの大きな本流だとするなら、団地もまた川べりの小さなよどみなのだ。