団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

サイダーを買う

 さあちょっと飲み物でも買いに行こうかな、と思ってリュックを探って初めて気付いた。財布、家に忘れた。

 

 さいわいQUICPayを普段使いしているので、コンビニまで足を伸ばせば買い物はできるし、さほど不自由はなかった。

むしろ、QUICPayの習慣ができていたから財布を忘れたとも言えるかもしれない。

 結果からは因果がわからない。

 

 コンビニではオレンジ色のサイダーを買った。

口をつけると水玉のような丸みが舌先ではじけた。さわやかに口元をするりと滑りこんできて、人工甘味料の甘みが鼻から抜けていった。ファイブミニに似ていた。

淀川

 人に感情をぶつけるのも、ぶつけられたりがあって、今週は心身共に重たくなってしまった。金曜日は出社していたので、久しぶりに22時台の電車に乗った。人がみっちり座っていた。電車の中ってこんなに明るかったっけ。何を見るでもなくぼうっと立っていた。みな白いシャツや明るい色の服を着ていて、クーラーの効いた車内はいっそう青白く見えた。もう夏に一歩踏み込んでいるんだな。

 

 換気のために開いた小窓から風が吹きこんできた。

マスクの隙間から少し水気を含んだ水草のような匂いがした。

 

 電車は淀川を渡り始めていた。

 

 夜の淀川は水面にいっさいの闇を溶かしたようにあやしく静かに揺れている。さっきまで、きらきらした梅田の明かりの中にいたのがもっと前の話だったんじゃないかとすら思えるくらい、自分があやふやになるくらいの夜が広がっていた。

 

目をつむると、私の体は川に浮かび、鉄橋をうるさく渡る電車を見上げているような気がした。

 

 いくら足をゆらゆらさせても、一向に底の知れない川だということを感じるばかりで、恐ろしさばかりが膨れていく。

爪先からほんの30センチが川底かもしれないが、数メートル先が川底かもしれないという可能性もまた同時にある。じっとしていると次第に神経が水に慣れてくるのだけど、そのぶん手先にまとわりつくわずかな水流の歪みであっても恐ろしくなり、ただ水の中に一体となってたゆたうことしかできなくなっていく。浮かんでいるのか、どちらが天地かはわからない、ただ落ち着くべき体勢に落ち着いていき、流れる、あるいは沈んでいくようなイメージが広がっていく・・・

 

 体の底がぶるっとなって目を開けるともうとっくに淀川は渡りきっていた。息を止めていたらしく、少しだけ息が上がっていた。

 

 

眠れないとき

眠たいのだけど眠れない。そういう感じで午前2時くらいまで起きていてしまうことが最近よくある。

布団の上で仰向けになって目をつぶっていても、寝ていないということになる。明日の仕事の段取りとか、他人への苛立ちとかなんかがずっと浮かび上がってきてしまうのだ。妻に聞こえない程度の大きさの声であーーと言う。布団の擦れる音よりも低く太い声。静寂の中にちっぽけな不安がしみわたっていき、再び何もなかったように暗闇と月明かりだけが残った。

 団地の前を原付が通る音がする。まだ誰か起きてる。もう少し昨日の続きでいてほしいような気もする。眠れないのか、寝たくないのか、本当のところはわからない。

 

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下書きにいくつかの日記を置きっぱなしにしている。この続きを書こうと思うのだけど、うまくまとまらない。少しだけ肉付けすることもある。そういう歩みでもいいから、日記を残していこう。

 

通勤のときの風景

 電車を使って決まった時間に通勤したりしていると、だいたい毎日見かける人がいたりする。知っているけど知らない人という感じ。

 

 以前の会社は車通勤でしか行けなかった。僕は車がなかったので、通勤バスを使っていた。

 

 大阪へ帰省するときの途中、東京駅を出る新幹線からの都心のネオンがやけに懐かしく見えた。

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日常の喪失

 

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 失って初めて気づく…という決まり文句があるように、何かへの喪失感というのは、意外にピンと来ていない人が多いのかもしれない。というのは僕も含まれる。

 どういう感じの感情に襲われるのか知識として知っていても、味わったことがないと、実感を持って考えることはできない。

 

 4年ほど前、前職の退職までの有休消化期間に、気仙沼から海岸沿いに陸前高田へ行ったことがある。当時は宇都宮に住んでいたから、東北新幹線を乗って岩手県の一関駅で在来線に乗り換えて行った。大船渡線という2両のワンマン電車に乗って、ゆっくり通り過ぎていく谷沿いの集落を眺めていた。

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 あのときは2016年だったから、地震があって6年くらいだったはずだ。当時は僕は大阪にいて、国立大学の後期入試の前日だった。もう半ば浪人しようと投げ出していたころで、地震速報をテレビの前でかじりついて見ていた。

 テレビの中の街はどこまでが街だったのかもわからなくなっていて、ただ切り替わり続ける画面をじっと目で追うくらいしかなかった。翌日の試験は近畿地方の大学だったが、時刻順延で午後からのスタートになった。対策をせず適当に出願した経済学部だったから、当然落ちた。虚しさと情けなさを覚えながら、その日は少し泣いて終わっていった。

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 それから6年経って、こうして、その街を散歩している。中心地へ行けばきれいな明光義塾もあったし、ドコモショップも見えたし、古い団地にはたくさん洗濯物がつられていて、お母さんみたいな人がふとんを干しているのが見えた。日常だなと思った。いや、もしかするとまだ日常に戻っていない人が多いのかもしれない。日常に戻ろうとしても、戻れない人がいるのかもしれないな、と思った。僕も就職をきっかけに日常が遠ざかったような気がしていたから、そんなふうに思った。

 

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