団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

日常の喪失

 

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 失って初めて気づく…という決まり文句があるように、何かへの喪失感というのは、意外にピンと来ていない人が多いのかもしれない。というのは僕も含まれる。

 どういう感じの感情に襲われるのか知識として知っていても、味わったことがないと、実感を持って考えることはできない。

 

 4年ほど前、前職の退職までの有休消化期間に、気仙沼から海岸沿いに陸前高田へ行ったことがある。当時は宇都宮に住んでいたから、東北新幹線を乗って岩手県の一関駅で在来線に乗り換えて行った。大船渡線という2両のワンマン電車に乗って、ゆっくり通り過ぎていく谷沿いの集落を眺めていた。

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 あのときは2016年だったから、地震があって6年くらいだったはずだ。当時は僕は大阪にいて、国立大学の後期入試の前日だった。もう半ば浪人しようと投げ出していたころで、地震速報をテレビの前でかじりついて見ていた。

 テレビの中の街はどこまでが街だったのかもわからなくなっていて、ただ切り替わり続ける画面をじっと目で追うくらいしかなかった。翌日の試験は近畿地方の大学だったが、時刻順延で午後からのスタートになった。対策をせず適当に出願した経済学部だったから、当然落ちた。虚しさと情けなさを覚えながら、その日は少し泣いて終わっていった。

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 それから6年経って、こうして、その街を散歩している。中心地へ行けばきれいな明光義塾もあったし、ドコモショップも見えたし、古い団地にはたくさん洗濯物がつられていて、お母さんみたいな人がふとんを干しているのが見えた。日常だなと思った。いや、もしかするとまだ日常に戻っていない人が多いのかもしれない。日常に戻ろうとしても、戻れない人がいるのかもしれないな、と思った。僕も就職をきっかけに日常が遠ざかったような気がしていたから、そんなふうに思った。

 

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