休日は起きてボーッとして夜になる
金曜、会社から帰る途中の駅で下車してみた。仕事の後は頭をぼんやりさせて、街中をたゆたうようにブラブラするのが心地よい。品揃えの悪い本屋に寄って、軽く涼んで料理雑誌を立ち読みしてまた帰路についた。
晩飯のおともに、会社のお歳暮のおすそ分けでもらったプレミアムモルツを冷やして飲んだ。ビールは一口目が美味い。あとはテンションで飲み切った。
翌朝は5時前に目が覚めて、トイレに行ってまたふとんに入った。真っ暗な部屋の中で、カーテンの隙間から白んだ紺色の光がにじんでいたので、なんとなく外を眺めた。
住んでいる部屋からは東の空が見える。遮るものがないので、東の山のてっぺんのまぶしい光源がよく見えた。太陽以外は等しく黎明の紺色につつまれている。どでかいオフィスビルも、ごみごみした長屋住宅群も、タワーマンションも。
眠気の中、毎朝こんな映画みたいな映像が上映されているのか、と考えた。
仰向けに転がり、まぶたを閉じながらアレコレ考えてしまった。
僕には趣味がないせいか、なんだか人生の体感速度が速いような気がする。かと言って何か趣味が欲しいという気分にもならない。
ピースの又吉直樹氏が慢性的に憂鬱でないと小説を書けない、と言ってたようだが、まさに全く同じ心境でいる。僕は本質的に物事を楽しみきれない性格なんだろうと思う。
ただ、そのことについては何か悲観的な気持ちになることはなくて、楽しみきれていないということを楽しんでいるようにも感じる。
そんなロジックを組み立てているうちに、いつの間にか二度寝してしまっていった。
再び目覚めると、さっきよりもだいぶ明るくなっていた。ベッドに寝転がると、空が見える。そういう位置にベッドを置いているのだ。
他の人にはわからないかもしれないが、寝ながら空が見えるとか、行ったことのあるところをGoogleマップで見るとか、電車のクーラーの匂いとか、そういう小さな楽しみがこの世界にはちりばめられていて、ヘンゼルとグレーテルがパンをたどるように、それらを暮らしの中で見つけていくことで、僕は毎日毎日を繋いでいくことが出来ている。
日曜日はチャーシューとトンカツを作った。んまい。