団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

就職で住んだ知らない街

 知らない街で暮らすということには、想像以上の苦しさがある。それは、うまく言えないのだけど、過去の自分と断絶してしまうからなんだと思う。

 いつも帰り路に寄っていた本屋や、駅のエスカレーターもない。これは、昨日の僕がどこにもいないということだ。

 僕らは自分でも知らないうちに、街や空間に自分の記憶を染み込ませておいて、ここで生きてきたんだ、こういうことを考えてきたんだ、と過去の自分と今の自分をつないで、どうにか生きているんだろう。どれだけ眠る前の妄想を広げても、朝目覚めたときに昨日の続きの自分でいることにがっかりするし、そしてホッとするんだと思う。

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 就職のために大阪を離れ、宇都宮で暮らしていた時期がある。

“時期がある”というのは、今はもう住んでいないからだ。辞めた理由がなんだか恥ずかしくて言いづらかったのだけど、結局会社を辞めてまた大阪へ戻ってきた。

 

 宇都宮では会社の寮があって、そこの1Kの部屋で一年ほど暮らしていた。

 寮のベッドは今まで眠ったことがないくらいに大きくて、体の伸ばし方がわからない。体を胎児のように丸めて眠るのは、実家の団地でずっとそうしてきたからだ。

 そんな風に寝づらくても、夜はシーツを乱さずにそっと寝るようにした。どこか自分の居場所でないようなぎこちなさがあって、毎晩あまりうまく眠れなかった。一回、シーツを乱してしまうと、僕の痕跡がこのベッドに、この知らない街にこびりつくのではないかと怖かったからだ。

 

 カーテンはいつも開けっ放しにしていた。別に見られても構わなかったというのもあるし、川を挟んでしばらく二階建ての家がずっと続いてたから誰からも見えるはずもなかった。家は遠近法にしたがって順序よく粒のように消えていって、そのいちばん向こうに奥羽山脈が横たわっていた。

 冬は特に稜線がくっきりとしていて、山々のひだに雪が積もり、日ごとに違う表情を見せる。毎朝、起き抜けにその美しい情景を目にするたびに、自分が知らない街で暮らしていることをまざまざと思い知ることになった。

 

 

 僕の当時の上司は、今年で60歳になる管理職の方だった。Kさんといった。

 Kさんは話好きな人で、業務はしっかりこなしながらもいろいろな話をした。クラシック音楽の話やバイクの話(僕は全然知らないが)、社会人としての基礎知識など、ためになることも教わった。

 配属したての頃一緒に別部署に打ち合わせに出かけたときは、僕たちを見て、子分ができたななどと冗談を言う人もいた。Kさんは笑っていた。こうして職場全体に慣れさせていってくれてるんだな、となんとなくわかった。

 

 デスクでも隣同士だったので、よく話すことが多かった。

会社を辞めることが決まり、誰にも気付かれないように静かにことが動いていた頃だった。どういう経緯か、僕の家族の話になった。転職の際に親御さんはどう言ってたというような流れだったと思う。

 

『俺みたいな歳の人間と話す機会なんてなかっただろ』

「そんなことはないですよ。父親が60を超えているので。

 僕は父親が40歳のときの子どもですから」

 そう返すとKさんはキーボードを叩く手を止め、僕の方を少しだけ見た。

 『俺も親父が40の時の子だよ』

 僕も手を止めた。

 「そうなんですか」

 『珍しいな』

 「Kさんも、その時代では珍しいほうじゃないんですか」

 『まあな』

 それからしばらく経った。

 「Kさんはどこ出身ですか」

 『俺か?秋田だよ』

 「それは、また遠いですね」

 嘘だ。本当は秋田の遠さなんてよく知らない。

 『遠いんだけどさ、若い頃はよくバイクで帰省してたんだ。宇都宮から仙台抜けて、6時間もあれば着くんだ』

 「それは…僕にはできないですね」

 

 それからいろいろなことを聞いた。Kさんが集団就職で秋田からやってきたこと。地元を離れるときに両親が心配だったこと、10年ほど前に両親が亡くなったこと、娘さんが関西で暮らしていること。

 そうやってしばらく、Kさんの人生と街をめぐる決断を自分ごとのように感じながらひとつひとつを聞いていった。

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 3月初頭、出勤最終日だった。

 まだ少し寒さの残るころで、雪が降る日もまだ頻繁にあった。東北近い土地で暮らすのは生まれて初めてだったので、毎朝ダウンジャケットとヒートテックを入念に着こみ、通勤バスに乗り込んだ。毎朝工場へ近づいていくと次第に田んぼが見えてくる。遠くの山脈が朝日を受けて白んでいく様子を眺めながら、自分が自分でないような気がしていた。

 あの寒そうな山を越え、さらに越えていくとKさんの生まれ育った故郷があるらしい。Kさんが就職で故郷を離れるとき、駅まで母親が見送りに来たという。きっと同じように雪が降っていたのだろう。遠のいていく街を車窓から眺めながら、Kさんが何を思ったのか僕にはわかる。

 Kさんは僕と同じように不安と葛藤を抱えながらも、ひとつの会社で勤めあげてきた。僕はその不安と心配は抱えきれないと思った。それだけの違いだが、もう会うことはないのかもしれないと思うと、胸が詰まるような感じがした。

 

 最後の夜、少しだけいつもよりよく眠れたような気がする。翌朝はすぐに引っ越しだった。荷造りも済ませ、部屋の掃除をして、最後に寮長さんにチェックをしてもらえば、もう、ここを出るだけだった。

 

寮長さんがチェックを終えて、ロビーで待つ僕のところへやってきた。

水まわりも清潔、床もきれい、忘れ物もない、と、思っていたのだけど。

『詰めが甘いねえ、シーツがぐしゃっとなってたよ』

 

僕の住みたかった街は、宇都宮かもしれない。

 

 

 

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by リクルート住まいカンパニー