団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

帰る家がなくなっていく

 生まれてから幼稚園の頃くらいまでの記憶はほとんどない。

ほとんどと言えば少しだけ記憶があるように聞こえるけど、断片的なシーンが何枚か頭の中に残っているだけで、それも歳をとって来れば細部がぼんやりとしたものになってくる。

 

 団地のベランダのドアが開け放たれ、揺れるカーテンに顔をくすぐられながらドアのすぐそばで寝転がっていた。

ベランダでは母親が洗濯物を干していて、パン、パンと服を手のひらでのばす音が聞こえる。

 寝転がりながら空を見ていた。視界の下に空が広がり、上には駐車場が並んでいた。

地面にへばりつくような逆さまの車を不思議だなと思いながら眺めていた。僕の実家はニュータウンにある。

 昨年栃木県で暮らし始めたとき、これまでの自分と断絶したような気がした。

実家にいたときは好きな音楽を聴き、見慣れた天井、匂い、家具に囲まれて生きていた。自分がまさかこんなにギリギリのバランスで生きていたとは知らなかった。

 遠く知らない街で暮らし始めたことで、その均衡が崩れた。人生で初めて味わう感覚だった。これまでの自分が別人になってしまって、自分がリスタートするような気がした。守られる存在でなくなり、自分の足で人生を歩くということはこういうことなのかとおぼろげに思った。

 前の職場の同期たちはみな平気そうな顔をしていた。自分の弱さや経験のなさが悲しかったが、そういうもんなんだと思う。彼らとよくボロボロの中華料理屋に出かけ、金曜の夜は深酒をしながらそういう心境を話したりして過ごした。

 

 生まれ育った実家を離れて2年が経とうとしている。最近、自分の本拠地がなくなりつつあるような気がする。

受け継がない限り、実家から離れたところで働く人は実家を手放さざるを得ない。

実家がなくなっていく。それと同時に僕の思い出や過去が、一番最古のものから薄まっていき、消えていくような気持ちがする。

 

少しあいまいなことを書いてしまった。

今日の晩飯はカレーを作った。アボカドを入れてしまい、妙な味に仕上がりました。

 f:id:oimo_denpun:20170827000158j:image