団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

知らない街で暮らしている

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 母から富士山の写真が送られてきた。父母で箱根に旅行に行ってきたとのことで、あまり関東のことは詳しくないのでわからないが、箱根の山から富士山が見えるとのことらしい。

 舗装された箱根の山道の駐車場から撮ったようで、数台の車のバックになって写真のど真ん中に富士山がちょこんといた。

 

 関西の人間にとっては富士山はそこまで馴染みはない。日本で一番高い山としか知らなくて、あと知っていることは麓の樹海が自殺の名所だということくらいだ。

 

 だけど母の撮った写真に映っているのは、何のイメージも押付けられていない山としての富士山だった。初めて本物の富士山を見て、見たぞという記憶を残すためだけに撮ったものだ。写真の中の富士山は、寡黙にそびえるばかりだった。

 

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僕らは自分の住む街についてあまり知らない。

 

 家から職場までの道のりで、その道中の風景はよく見慣れている。だけどいつも直進する曲がり角を左や右に曲がったときの、そこにある風景は一切知らない。知らないだけで、確かにそこには世界が続いているらしい。

 

 この間、仕事の帰りに夜遅くまでやっているスーパーへ寄った。店の前にはいくつも自転車が止められていて、ジャージ姿の地元の若者がたむろしていたり、水たまりに煙草の吸殻が落ちていたり、占い師が交差点に座っていたりした。

 

そういった雑然としたものを受け取りつつ、明るいスーパーへ入店した。入ってすぐのところには練り物売り場と野菜売り場があって、食材の匂いがむわっと漂ってきた。突然生きものの匂いを嗅いだせいか、少し嫌悪がよぎって、すぐに生き返ったような気分になった。油揚げとそうめんと、安かったので納豆を買った。

 

 夜も日をまたぐ前になると、街には人が少なくなっていた。住む家までの途中には新しい家も古そうな家も等しく暗く並んでいる。どこを歩いているのかわからなくなってくる。何をしてきて生きてきたのか、何を考えて、これからどうなっていくのか。こういう漠然とした不安に駆られて、家にたどり着けなくなってしまう人もきっといるはずだ。

 僕らが街で生きていくためには、記憶が唯一の手がかりになる。

自分の記憶のない街に住むということは、過去の自分と断絶するということだ。

 

 陸橋の白い手摺、アスファルトの剥がれた道、団地の号棟表示、そういったつまらない一つ一つに、時間をかけて記憶を埋め込んでいく。

学校で腹が立つことがあった日、蹴飛ばすように歩いた道にはその記憶が埋め込まれて、嬉しいことがあった日に空を見上げてもたれた陸橋の手摺には、特別な記憶が埋め込まれる。

 こうやって僕らは街を自分のものにしていく。その範囲のことをふるさとと名付けたい、と改めて思う。