団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

地図と未知の道

 うちの父は地図をみるのが好きだ。

 僕が小さい頃は家の車にカーナビなんて付いてなかったから、マップルという赤いリンゴが書かれた大きな道路地図が車の中に常備されていて、それを頼りにいろんなところへ出かけることがよくあった。

 知らない街を訪れたときは車を路肩に停めてマップルを広げる。父は眉間にしわを寄せながら、幅1ミリ程度で描かれた道を指でなぞり、よくわからないから進んでみよう、ということになって、結局同じところに戻ってきたりすることもあった。

 

 そうやって問題なくたどり着いた時も、あるいは迷いに迷ってしまった時も、父は家へ帰ってくると決まって家用のマップルを広げていた。家の中にももう一冊マップルがあって、これは父がスーパーのチラシで作ったオリジナルのブックカバーで特別丁寧に扱われていた。僕も母も、また見てるわぁ、と言ってしばしばからかった。だけどいつも父はうーんと言って、特に気にするでもなかった。

 

 一回だけ、聞いたことがある。

「お父さん、地図って面白いん?」

『面白いで』

「…見てても何が楽しいんかわからん」

『あの道の先はこうなってたんかぁ、とか、

 こういったらもっと早かったんやなぁ、とか、

 通らんかった道でも、そういうのがわかるのが面白いんや』

「ふーん」

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 このあいだ、地図で確かめながら箕面の滝に紅葉を見に行ってきた。

 今の僕はGoogleマップを開きながら歩くことが多い。地図を見るのが好きというわけではないと思うんだけど、今自分が地球どのあたりにいるのかをみて、家からこんなに遠いのか…ということを実感することが好きなのかもしれない。

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 観光地によくある道端のお土産やさんと、その上階にあるふつうの住居。

 いつも旅行にいったりすると、その観光地の観光地でないところに気が惹かれることがある。こういうよその人がたくさん周りに来るようなところで、ふつうに営まれる日常というのは、どんな感じなんだろう。

 ベランダの引き戸の向こうには、マグネットがたくさん貼られた冷蔵庫があったり、まだすこし濡れているガラスのコップがあったり、そういう生活感の切れ端みたいなものがちゃんとあるのか、いや、あるんだろうけど、なんかもしかするとないのではという気にもなってしまう。

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瀧安寺(りゅうあんじ)というお寺があった。奥に見える庫裏みたいなものは台風被害からの修理中らしい。空の雲が龍みたいだ。

 

 装備をしっかりした人も、軽装のカップルも、お酒を片手に登る一団も、いろんな人と一緒に山道をずらずらのぼっていくと、30分ほどで箕面の滝にたどり着いた。

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 まだ紅葉はつきはじめのような感じ。滝がごーっと流れ落ちる音と、たくさんの人の声なんかをひっくるめて山の音だなと思った。

 

 帰りの山道を下っていると、行きには気づかなかった脇道がいろいろあった。この道を行ったらどうなるんだろうと足が向きかけたけど、やっぱり家に帰ってからGoogleマップで確かめるか、と思い直すのだった。

 

 

今週のお題「紅葉」