団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

朝早いころ

 25時20分。どこかの団地の中の、そのさらに中の棟の、中の階段の、中の階の、中の和室の、中の丸い机の前で、Macbookが僕の顔を照らしている。

 

 もう明日になって一時間が経ったけど、僕にはまだ昨日が続いている。張り詰めた日中と、その緊張を和らげるためにわざわざ一駅分歩いた後の足の裏のだるさ。そういった余韻が体に残っていて、子午線よりも後ろの方でぐずぐずしていた。

 

 リビングで点けているテレビはいつの間にか怖そうなドラマになった。何かが割れる音がして、また元の静けさに戻った。早く寝ないと翌朝の体の重さやだるさがひどくなるとはわかっているんだけど、まだ明日になってほしくない。

 それからしばらく畳に寝そべっていた。まだい草は青々としていて、鼻を当てるとよく乾いた草の匂いがした。うっかり眠ってしまわないように、頭をごろごろ動かした。

 

記憶

 1年ほど前、朝いちで関西国際空港に帰国して、そこから電車で実家に帰ったことがあった。朝の6時過ぎで同じ車両に人はあまりおらず、他の人はトランクに体を預けてうとうとしていたり、iPhoneをじっと見たりしていた。みんな一人ぼっちで過ごしていた。

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 電車は大阪の海を渡っていく。あまり海を渡る経験がなくて、車窓からじっと波目を眺めていた。電車で渡りきったらその次は泉佐野駅らしい。降りたこともない駅で、どんな街かも知らない。

 体をひねって車窓から海側を眺めてみると、そう遠くないところに海岸線があって、そこまでの間を低層のマンションやアパートや、戸建ての家がそれぞれいろんな方向を向きながらキュッと並んでいる。

 朝日はまだのぼり始めたばかりだ。僕の背中側に朝日があるらしく、かすかに出ただけで、夜にとっぷりと沈んだ海は揺れながら金色に光っていた。

 秩序よく並んだ建物は、夜まじりの光でいいから、照らされることを待ちわびているように見えた。

 

 なんか、きれいだ、落ち着くな、懐かしい

 

 そういう類いの感覚がすごいスピードで湧き出ては、またすぐに消えてしまう。感覚をつかまえて言葉にすることはできなくて、なんとか心にとどめておく事ができたのは、そういうふうに思った、確かに思ったよな、という小さな摩擦だけだった。