団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

僕が退職した日

 前の会社で退職の意を伝えたのは、退職予定日の二ヶ月前だった。

 退職日までは当然引き続き勤務していたが、出来るだけ人の目に触れぬよう身体を小さくして過ごした。勤務を終えデスクを立ちゲートを出るまでのほんの10mは、うつむきながら足早に抜けた。誰にも声をかけられたくなかったからだ。

 直属の上司、人事、そして直属の先輩社員しか僕の事情を知らない中、そうやって波風を立てぬよう、退職のことは水面下に隠しつつ業務をこなしていった。

 直属の先輩は今年で60歳になる管理職の方だった。Kさんといった。

 

 Kさんは話好きな人で、業務はしっかりこなしながらもいろいろな話をした。クラシック音楽の話やバイクの話(僕は全然知らないが)、社会人としての基礎知識など、ためになることも教わった。

 配属したての頃一緒に別部署に打ち合わせに出かけたときは、僕たちを見て、子分ができたななどと冗談を言う人もいた。Kさんは笑っていた。こうして職場全体に慣れさせていってくれてるんだな、となんとなくわかった。

 

 デスクでもよく話すことが多かった。どういう経緯か、僕の家族の話になった。転職の際に親御さんはどう言ってたというような流れだったと思う。

「俺みたいな歳の人間と話す機会なんてなかっただろ」

「そんなことはないですよ。父親が60を超えているので。

 僕は父親が40歳のときの子どもですから」

するとKさんはキーボードを叩く手を止め、僕の方を少しだけ見た。

「俺も親父が40の時の子だよ」

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 3月初頭、まだ少し寒さの残るころで、雪が降る日もまだ頻繁にあった。東北近い土地で暮らすのは生まれて初めてだったので、毎朝ダウンジャケットとヒートテックを入念に着こみ、通勤バスに乗り込んだ。毎朝工場へ近づいていくと次第に田んぼが見えてくる。遠くの山脈が朝日を受けて白んでいく様子を眺めながら、自分が自分でないような気がしていた。

 あの寒そうな山を越え、さらに越えていくとKさんの生まれ育った故郷があるらしい。Kさんが就職で故郷を離れるとき、駅まで母親が見送りに来たという。きっと同じように雪が降っていたのだろう。遠のいていく街を車窓から眺めながら、Kさんが何を思ったのか僕にはわかる。

 Kさんは僕と同じように不安と葛藤を抱えながら、ひとつの会社で勤めあげてきた。僕はその不安と心配は抱えきれないと思った。それだけの違いだが、もう会うことはないのかもしれないと思うと、少しだけ悲しくなった。