団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

辞めた会社の同期と飲んだ

 辞めた会社の同期と飲む、というのはすごく楽しい。転職したとはいえ良い会社だったと今でも思っているし、同期も先輩も人間らしい人たちばかりだったので、こうして繋がりが持続できているというのは単純にうれしい。

 あわよくば、こうして定期的に近況報告も含めて酒を飲んだりどこかへ遊びに行ったりしたいなと思う。恥ずかしいのでそういうことは言っていないけど。

 

 先週の金曜の残業後、会社のエレベーターに乗り込むと同時にlineが来た。

「今から飲まない?」以前日記で書いた彼だった。

「行く」と返信しておいた。エントランスを出ると、まだ外は暗くなりきっていなかった。頭をボヤーッとさせながら神戸へ向かった。

 

 店の名前だけlineで送られてきて、三宮の北側はあまり行かないので迷子になりかけたけど、なんとかGoogleマップを駆使してたどり着いた。ちょっとおしゃれなダイニングバーだった。

 lineの彼と、遠方から出張してきていた同期と、僕の三人で酒を飲んだ。お互いの仕事のようすについてだべったり、人生とは、幸せとは何だという抽象的な話をした。僕は、我々の20代という期間は自分の居場所をこの世に作る期間なんじゃないかと思うということを発表した。

 森羅万象は時の流れに逆らうことが出来ず、みな終焉に向かって時間を過ごしているという感覚がする。地元のスーパーが閉店になり、新しいマンションが建ち、住民はみな高齢化していく、実家の周りを散歩していると、僕の思い出と食い違っていくのがとても悲しい。

 気づくと自分の育った地元は別物に変わっていく。よく行ったお店や歩いた道が無くなっていき、本当にただの思い出になってしまう。そうすると、自分の過去が少しずつ薄まっていき、もう二度と思いだせなくなるような気がする。

 自分のかつての居場所がなくなっていくと、自分は昔どんなことを考えていたのか、どうやって今までを生きながらえてきたのか思いだせなくなる。

 結婚して自分の家庭を持つ、というのは、自分の居場所を作るためにあると僕は感じている。そして伴侶や子供の居場所となっていく。やがて子供は今の僕と同様に、自分の居場所を作っていかないといけないというぼんやりとした危機感を覚えていくんだろうと思う。人間はこうやって居場所をバトンリレーして生きていく生き物だという感じすらする。 僕たちは自分の居場所を作るタイミングにきてるんではないか。

 

 そういうようなことを僕らは真剣になって議論した。三人ともべろべろになるまでチャンポンしながら議論したせいで、頼んだ唐揚げを誰かが一人で全部平らげてしまったり、自分のおしぼりなのかどうかわからなくなったりした。もうわけがわからなくなったので二軒目に行ってしっとり飲んだ。

しんど

食べログ しんど

 みんな金曜の夜はいいなぁと言いながら、お互い軽口を叩きながら日本酒を飲んだ。

僕は日本酒は飲みなれないのだけど、なんだか特別な夜だなと思えて本当に美味しく感じた。

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