団地の中から

人間の“場所”について考えるブログです

眠れないとき

眠たいのだけど眠れない。そういう感じで午前2時くらいまで起きていてしまうことが最近よくある。

布団の上で仰向けになって目をつぶっていても、寝ていないということになる。明日の仕事の段取りとか、他人への苛立ちとかなんかがずっと浮かび上がってきてしまうのだ。妻に聞こえない程度の大きさの声であーーと言う。布団の擦れる音よりも低く太い声。静寂の中にちっぽけな不安がしみわたっていき、再び何もなかったように暗闇と月明かりだけが残った。

 団地の前を原付が通る音がする。まだ誰か起きてる。もう少し昨日の続きでいてほしいような気もする。眠れないのか、寝たくないのか、本当のところはわからない。

 

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下書きにいくつかの日記を置きっぱなしにしている。この続きを書こうと思うのだけど、うまくまとまらない。少しだけ肉付けすることもある。そういう歩みでもいいから、日記を残していこう。

 

通勤のときの風景

 電車を使って決まった時間に通勤したりしていると、だいたい毎日見かける人がいたりする。知っているけど知らない人という感じ。

 

 以前の会社は車通勤でしか行けなかった。僕は車がなかったので、通勤バスを使っていた。

 

 大阪へ帰省するときの途中、東京駅を出る新幹線からの都心のネオンがやけに懐かしく見えた。

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日常の喪失

 

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 失って初めて気づく…という決まり文句があるように、何かへの喪失感というのは、意外にピンと来ていない人が多いのかもしれない。というのは僕も含まれる。

 どういう感じの感情に襲われるのか知識として知っていても、味わったことがないと、実感を持って考えることはできない。

 

 4年ほど前、前職の退職までの有休消化期間に、気仙沼から海岸沿いに陸前高田へ行ったことがある。当時は宇都宮に住んでいたから、東北新幹線を乗って岩手県の一関駅で在来線に乗り換えて行った。大船渡線という2両のワンマン電車に乗って、ゆっくり通り過ぎていく谷沿いの集落を眺めていた。

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 あのときは2016年だったから、地震があって6年くらいだったはずだ。当時は僕は大阪にいて、国立大学の後期入試の前日だった。もう半ば浪人しようと投げ出していたころで、地震速報をテレビの前でかじりついて見ていた。

 テレビの中の街はどこまでが街だったのかもわからなくなっていて、ただ切り替わり続ける画面をじっと目で追うくらいしかなかった。翌日の試験は近畿地方の大学だったが、時刻順延で午後からのスタートになった。対策をせず適当に出願した経済学部だったから、当然落ちた。虚しさと情けなさを覚えながら、その日は少し泣いて終わっていった。

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 それから6年経って、こうして、その街を散歩している。中心地へ行けばきれいな明光義塾もあったし、ドコモショップも見えたし、古い団地にはたくさん洗濯物がつられていて、お母さんみたいな人がふとんを干しているのが見えた。日常だなと思った。いや、もしかするとまだ日常に戻っていない人が多いのかもしれない。日常に戻ろうとしても、戻れない人がいるのかもしれないな、と思った。僕も就職をきっかけに日常が遠ざかったような気がしていたから、そんなふうに思った。

 

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人生会議

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 この間夕方頃にテレビを見ていると「報道特集」という番組の中で、「人生会議」の短いドキュメント映像が流れていた。あれ、なんか最近見た言葉だなと思って、じっと見入った。

 

 亀田総合病院での“人生会議”の取り組みについての紹介だった。

 普段から緩和ケアや地域医療に根ざした取り組みをしているらしく、その中の一つに【「もしものとき」を想定して、人生最期をどのように過ごしたいかを考える】ゲームをするというものがあった。

縁起でもないことだからこそ、ゲームを通じて見つめ直そうという趣旨で、参加者は患者家族、患者自身、まだ若い人、医療側の人、いろんな立場の人が混ざりあっていた。

 ゲームで使うカードには、呼吸をしていたい、家で最期を迎えたい、痛みを感じたくない、いろいろな今際の希望が書いてある。僕も少し考えをめぐらせてみた。

 もし自分の命が残り少ないとわかったら、油断ならない病気にかかったら。…◯◯したい、とまで思い至るんだろうか。喪失や死までの距離感が、いまいちつかめない。

(つづく)

 

 また仕事終わりに大阪市内の住宅地を歩いていた。

 

 テナントビルや高層のビルが立ち並ぶ地域だけど、最近は新しい高層マンションがたくさん立っている。マンションは高くなればなるほど、その足元は清潔でぱりっとした雰囲気が漂う。

 

 ぱりっとしたエントランスから、何回か脇道を入ったような場所に猫がいた。家猫か、野良猫かはわからない。じっと見ていると、一定距離を保ちながら僕の周りをウロウロし始めて、僕が手を伸ばすまでに逃げ出せるような距離でしゃがんで、顔だけはこちらを向けて落ち着いた。

 はじめは真っ黒な黒猫だと思ったのだけど、よく見ると毛の一本一本に濃淡があるらしかった。毛並みのつや、固さ、筋肉の肉付きに合わせてできた毛並みの陰影が、撫でなくても手の中に手触りを感じさせた。

 猫がいる、というよりも、血肉の通った生き物と向き合っているような感じがした。僕が体を動かすと、猫も体をぱっと起こして、一目散に逃げていった。

団地#07 大阪市営加島団地

 (2018年8月訪問)

 少し坂になった道を、ペダルを漕ぐたびに尻のポケットに入れた財布が食い込んだ。ひと漕ぎ、ひと漕ぎすると、額から汗がふきでるのがわかった。

 頭上はうらめしいくらいに青だった。かすかな日陰をつなぎながら大阪市淀川区加島を訪れた。

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 三津屋中央公園の前に地域地図があった。これを見るとわかるように、このあたりは工場が多く立ち並んでいる。中でも金属加工業が多く、大阪市内でありながらも古くからの職住近接地域だといえる。

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 三津屋中央公園を南へ曲がると、加島の団地群が見えてきた。

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 補修が進められているのか、団地の外観は美しかった。

遊具が少し傷んでいた。子供の数が減ってきているのかもしれない。この辺りをうろついていると、デイサービスの送迎車を見かけた。静かに落ち着いた団地もいいが、やはり子供の姿があると団地はわっと賑わいだす。

 野菜の移動販売のおじさんと、住民のおばあさんたちが日陰で談笑していた。

 


 まとわりつく熱気、静かな団地、蝉と遠くの電車の音。どこか別世界に入り込んだようだった。唯一現実感を持っているのは自分の体だけのような気がして、それでも団地の間を縫うように自転車を漕いでいると、どこかの角で曲がりきれずに体すら振り落としてしまいそうで。

 この住戸のひとつひとつに、誰かの人生がしまわれている。本当は人生なんてきれいに整理整頓できるものじゃないけど、団地はすっぽりと飲み込んでいる。自分はそこからはじき出されたのだろうか。団地の中が本当の世界なんだろうか。太陽は真上にいる。茫然とするほど青い。今いる場所はどこなのか、ぐるぐると自転車で回っているうちに、見失っていった。

 時折見かける住人の姿が、僕を正気に繋ぎとめていた。

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 大きな高層団地がいくつもある。少し青みがかった外壁も、夏の青さに劣らず美しい。

この写真を見るとよくわかるけど、一部分が下から上までズドンと吹き抜けていて、中庭のようになっている。

こういう団地をみると、この中庭に面した部屋の中にいる自分を想像してしまう。直射日光ではないやわらかな光が、中庭をとおって部屋の中へ入ってくるようすを思い浮かべると、心から落ち着く。

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