団地#06 大阪市営南方住宅
都市部は秩序の中に成り立っている。もっとわかりやすくいうと、パブリックな空間しか存在しないということであり、個人の世界が集まっているのではなくて、集合体としての世界の中で僕たちは過ごしている。
この集合体というのは、制度やシステムによって形成されていくことが多いと思う。ごく近年でいえば京都の景観条例や埋蔵文化条例もそうだし、古くは都市計画法が整備され始めたことで、その集合体の世界の萌芽となった。
昔は何もなかったといわれる場所も、制度により場所の特質を決めてしまうことで、個人が集まるより先に集合体という器を作ってきた。
そうして僕たちはその器どおりに街の先入観やイメージを持つようになる。梅田という街はおしゃれな街だ。難波は雑多な街だ。しかし決してそういう属性の人が集まって偶然にできた街なのではない。そういう属性の人を呼ぶ街が先なんだと思う。
それとは対照的に、都市部の住宅地はある意味で異質だ。
住宅地も住宅地としての都市計画の中で作られてきた経緯はあるが、人間は元来群れを作って生きる動物だ。住む・暮らす場所は器が用意されるまでもなく、自分たちで選び作ってきた。いわば器が出来るより前に個人の世界が寄り集まっていて、その一つ一つが街を形成してきたのだ。
そしてその個人の世界は、本来パブリックであるはずの空間ににじみ出てくるようになる。例えば住民が趣味で置いている団地のプランターや、椅子を持ち寄ってできた雑談場所のように、街は個人の世界がゆったりと拡がっている。
南方住宅、およびその近辺の公営団地も、元は個人の世界の集まりだった。
大阪市営南方住宅
(2018年8月訪問)淀川区、西淀川区、そして今回訪れた東淀川区は、どれも古くからの住宅地が残っている。
新大阪駅から南東に向かって歩いていった。何重にも連なるJRの線路をまたぐ歩道橋の真ん中で立ちどまった。後ろを振り返ると、大きなオフィスビルが少し遠くに見えた。今いるここはもう新大阪じゃないな、と思った。
前を向きなおすと、マンションがいくつも見えた。白ランニングシャツ姿の老人が自転車を漕いでいた。手作りの張り紙がシャッターに貼られていた。「貸車庫 あります 月3万円」
クリーム色の外壁が公団住宅の経年を感じさせる。手摺壁は今のトレンドのようなアクリル板やガラスは使わず、スリットを入れた鉄筋コンクリートだ。この均質さと重厚さが、なんとなく土木スケールの構造物のような印象を抱かせる。こういう我の強い表情も公営団地ならでは良さのひとつだ。
経年劣化のためか、褪せていた。
向かいの高層団地は新しく建て替えが進んでいた。こちらは手摺壁はアクリル板であり、先ほどの団地と比較して、軽やかな印象を受けた。
まだバルコニーが工事中。
低層部の外壁はオレンジ色。このあたりの団地はオレンジ色が多い。
道路の反対側からたぬき達が建て替え団地を見守っていた。
朝早いころ
25時20分。どこかの団地の中の、そのさらに中の棟の、中の階段の、中の階の、中の和室の、中の丸い机の前で、Macbookが僕の顔を照らしている。
もう明日になって一時間が経ったけど、僕にはまだ昨日が続いている。張り詰めた日中と、その緊張を和らげるためにわざわざ一駅分歩いた後の足の裏のだるさ。そういった余韻が体に残っていて、子午線よりも後ろの方でぐずぐずしていた。
リビングで点けているテレビはいつの間にか怖そうなドラマになった。何かが割れる音がして、また元の静けさに戻った。早く寝ないと翌朝の体の重さやだるさがひどくなるとはわかっているんだけど、まだ明日になってほしくない。
それからしばらく畳に寝そべっていた。まだい草は青々としていて、鼻を当てるとよく乾いた草の匂いがした。うっかり眠ってしまわないように、頭をごろごろ動かした。
記憶
1年ほど前、朝いちで関西国際空港に帰国して、そこから電車で実家に帰ったことがあった。朝の6時過ぎで同じ車両に人はあまりおらず、他の人はトランクに体を預けてうとうとしていたり、iPhoneをじっと見たりしていた。みんな一人ぼっちで過ごしていた。
電車は大阪の海を渡っていく。あまり海を渡る経験がなくて、車窓からじっと波目を眺めていた。電車で渡りきったらその次は泉佐野駅らしい。降りたこともない駅で、どんな街かも知らない。
体をひねって車窓から海側を眺めてみると、そう遠くないところに海岸線があって、そこまでの間を低層のマンションやアパートや、戸建ての家がそれぞれいろんな方向を向きながらキュッと並んでいる。
朝日はまだのぼり始めたばかりだ。僕の背中側に朝日があるらしく、かすかに出ただけで、夜にとっぷりと沈んだ海は揺れながら金色に光っていた。
秩序よく並んだ建物は、夜まじりの光でいいから、照らされることを待ちわびているように見えた。
なんか、きれいだ、落ち着くな、懐かしい
そういう類いの感覚がすごいスピードで湧き出ては、またすぐに消えてしまう。感覚をつかまえて言葉にすることはできなくて、なんとか心にとどめておく事ができたのは、そういうふうに思った、確かに思ったよな、という小さな摩擦だけだった。
狭い世界に生きる人(自分)
生まれも育ちも団地で、今は実家でない団地に住んでいる。
電車に乗っていても、車窓から見える団地をつい目で追ってしまうし、仕事で外出の用事があってグーグルマップで行き先を調べていても、この辺りのこのへんに団地があるんだな、と無意識に考えている。
最近はえーっと言われがちないろんな◯◯マニアも、ほとんど市民権を得てきているし、そういう人より変わった趣味嗜好というのは、結構良しとされることも多い。だけど「団地が好き」は思わず人に言うのをためらってしまう。というより、あまり人に言いたくないというような感じだ。
たぶん、団地は僕の弱さを象徴する存在だからかなと思う。
大抵の人は労働をしないと生きるためのお金がない。世間体というあいまいな何かにも、労働に向けて突き動かされている。僕もそれにもれず日々労働をしていて、体をいためながら、ねぎらいながら、どうにかこうにか生きている。
僕はまだ20代だから「なし得たいこと」があって普通の年代だ。夢や、目標や、そういった美しいきらびやかなもの。だけど労働をしながら考えてみると、そんなのあるだろうか、私は何か成し遂げたいことがあるのか、という自分自身の問いかけに、言葉が詰まってしまう。
一方で同年代には、世界で活躍する人もいる。既に海外で仕事をしたり、その視野が目線より高いほうを見上げている人がいて、そういう人たちはやっぱり華やかだ。インターネットで見るたびに、すごいなという心境になる。
だけど僕の世界は、団地の2LDKで閉じている。
「団地が好き」というのは本当は正しくないのかもしれない。本当は、そんな狭いところを心の拠り所にしている自分が嫌で、でもそうでもありたい、背反する感覚がまぜこぜになっているのかもしれない。
ただ、最近は素直に「団地が好き」と言えるようになってきていて、団地をテーマにしていろんなことを調べたり、地域や街や空間への人間の関わり方について本を読んだりするようにもなった。
これは「他の人の世界観」に興味を持ったということもあるし、意外にこういう「空間と人の内面のギャップ」は他の人も苦しんでいるんじゃないかと思うようになったからだ。
日本から人口が減っていく中で、広い世界へ視線を上げ続けることが出来る人だけが生き残れるというのは悲しいので、もっと狭い範囲の世界についてちゃんと言語化していきたいなと思う。
新幹線補助の制度のある自治体をまとめてみた2019
昨日書いてて、新幹線補助のある自治体って意外とあるんではないか?と思い調べてみた。
東北地方
なし。通勤ではなく通学の新幹線補助なら結構あった。
高校進学の次点で、県外へ引っ越す人も多いんだな…
関東地方
埼玉県熊谷市
おいでよ、熊谷!新幹線で楽ちん通勤しませんか?:熊谷市ホームページ
栃木県那須塩原市
栃木県小山市
【制度を一部改正しました】小山市新幹線通勤定期券購入補助金について - 小山市ホームページ
茨城県石岡市
平成31年度 通勤・通学支援事業 | 石岡市公式ホームページ
群馬県沼田市
https://gunmagurashi.pref.gunma.jp/cities/numata/assist
中部地方
新潟県湯沢町
https://livelife.town.yuzawa.lg.jp/commute/
湯沢町は各自治体と比べてもいち抜けて新幹線補助の取り組みに力を入れているようで、今回の記事に登場していた女性のインタビューを紹介している。
長野県飯山市
長野県佐久市
2019度:移住促進サポートプラン(移住促進住宅取得費等補助金) 佐久市
富山県黒部市
黒部市新幹線 通勤・通学支援補助金について | 富山県黒部市 公共交通で行こう!
富山県高岡市
https://www.city.takaoka.toyama.jp/kotsu/sangyo/shigaichi/shinkansen/documents/h31youryo.doc
山梨県都留市
近畿地方
なし
中国・四国地方
なし
九州地方
鹿児島県薩摩川内市
所感
通勤ではなくて、通学の新幹線定期券補助の制度をしいている自治体は結構あった。あと、かつて新幹線通勤の補助制度を期間限定(三ヶ年)で行なっていたけどやめてしまった自治体もいくつかあった。
これは定住促進の意に反して、その補助期間が終わってしまうと県外へ引っ越してしまうらしく、費用対効果が見込めず続かなくなった自治体もあった。やっぱり、ずっと続けるのは通勤者にとってもしんどさはあるんだろうな。
自治体は移住者を呼び込むための取り組みを続けていって欲しいし、僕たちも自分にとって"本当に良い場所"を理解できるようになれればいいな、と思う。生きながらしんどい思いをしないために。
新幹線定期はつらくても、住みたい街で暮らす
新幹線定期を使って、毎日新潟と東京間の通勤をする女性会社員の記事を見かけた。
記事にもあるのだけど、この方は生まれ育った新潟と会社のある東京の2拠点を、毎日新幹線で行き来しているらしい。
ツイッターなどでこの記事に対するコメントを探してみたら、長期間それを続けることは体力的にしんどいのではないか、という意見がいくつかあった。ただ、そういう懸念事項を挙げつつも、全体的には働き方改革の一環として良い取り組みだと受け止めてたり、羨ましがる人が多いようだった。
僕もこの新幹線定期はいいと思う。毎日片道2時間以上の乗車は体には負担かもしれないけど、その間の移動時間はいろんなことに使える。仕事の段取りを整理整頓したり、仕事の技術書を読んだり、ボーッとしたり、ツイッターをしたり、ちょっと眠ったりできる。(どれも席を確保できるというのが前提だけど)
何より、そうやって車窓から見える東京という街の明かりを脱ぎ去るように抜けていって、自分の体が夜へ還っていく。そういう儀式めいたものがないと、僕らはうまく一日を閉じることができない。そう思うからだ。
今回の場合は、新潟県湯沢町が新幹線定期の補助制度を始めていたことや、会社に通勤補助制度があったこと、上司をはじめとして社内に理解があったこと、そういう色々な条件が上手くぴったりとハマったからというおかげもある。
ただ間違いなく言えるのは、働き方改革という言葉がちゃんと(少しずつだけど)進んでいるということだ。それは僕たちが働いて生きていく中で今まで犠牲にせざるを得なかった「住みたい街で暮らす」ということを実現するための土壌づくりが今、まさに行われているということなのだと思う。
地元から出ない若者は増えていくと思う
数年前のインターネット界隈でにわかに「マイルドヤンキー」という造語が広まった。
ちゃんとした定義はウィキペディアに載っているけど、大まかにいうと「交友関係は中学・高校がメイン」、「地元を出ず地元の企業に就職する」「ずっと地元に暮らす」という特徴がある。
この言葉を巡っては、幾つも論議が交わされていて、「東京」と「その他」の対立として語られることが多いし、あるいは「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」の対立の図式になることもある。
僕はこの言葉の是非というか、その微妙に選民意識を匂わすような感覚はあまり好みじゃないのだけど、ただ「地元」を離れたくないという点に着目して言えば、「マイルドヤンキー」は今後増え続けていくだろうなと思っている。
日本の都市が近くなった
昭和の時代に今のサラリーマン的働き方が整備され、時を経ていくうちに僕らは仕事の為に転居をするということが当然のようになっていった。
昔は上京という言葉が特別だったのだと思う。たとえば大阪と東京の距離だったとしても、当時はお互いのリアルタイムを知る手立てもなく、どこか別の世界へと行ってしまうような重みがあったのだと思う。
今でこそインターネットは顔を合わせた会話を可能にしてくれたし、新幹線はその物理的な距離を感じさせないくらい、都市間を瞬時に移動させてくれる。東京という街が地続きにこの先に存在しているということが本質的にわかってしまったのだ。もはや上京という言葉にドラマはないんじゃないかな、と思う。
どこにでもある街
一方で地方にはTSUTAYAやブックオフやファミマが国道沿いに並ぶ。ときどき、こういった現状をファスト風土化と呼んで問題視することがある。巷の言説によれば、こういった都市の均一化により独自の風景が消えていくらしい。
都市の均一化によって、どこにでもある街が日本中いたるところに拡大していった。どこの街へ行ってもローソン、サイゼリヤ、マクドナルド、丸亀製麺を見付けるのはたやすい。もちろん、温泉街や観光都市や風致地区(昔の景観を保存する地区)なんかは独自の建築物や街並みを残していたりするけど、日常的に僕らが過ごす街は、日本中どこにでもある風景だ。僕らは自由に街を移動できるようになり、街はどこも同じだということに気付くようになった。
ここにしかない街
しかし、地元の街だけは違う。僕らは生まれ育っていくうちに、その地元の街に原風景を見出していくのだと思う。
田園の広がる土地で生まれ育った人の原風景は、風で重そうにゆっくりと揺れる稲穂かもしれない。都市部で生まれ育った人の原風景は母親の肩越しに見たビル群かもしれない。
最近はUターン就職・転職の選択をする人が増えてきているのは、何も親世代のこと思ってだけではないと思う。無意識のうちに、原風景に近づいていくための選択を繰り返しているのではないかと思う。
ただし原風景は、必ずしも好意的なニュアンスの言葉とは限らない。僕はどちらかというと「抗えないほど自分の中に残りこびりついた原体験」のつもりで使っている。原風景が人によっては苦しいものだったり、大切なものだったりするからこそ、地元を離れることを厭わない人と、離れたくない人がいるのだと思う。
グローバル化と原風景
世界はまだまだグローバル化が進む。ブルーカラー、ホワイトカラーの他に、世界を股にかけるという意味でゴールドカラーという言葉まで生まれているらしい。
だけどグローバル化が進んでいくにつれて、僕らはどこの街も本質的に同じだということを突き付けられる。
タイや台湾の熱気に包まれたようなガチャガチャした街並みも、イタリアの石積みで統一感のある街並みも、それは自分にとってはどこか後天的な存在だということをどこかで感じてしまう。世界がフラットになり、どこへでもアクセスできるようになっていくほど、原風景が色濃く際立ってくるのだ。
地図と未知の道
うちの父は地図をみるのが好きだ。
僕が小さい頃は家の車にカーナビなんて付いてなかったから、マップルという赤いリンゴが書かれた大きな道路地図が車の中に常備されていて、それを頼りにいろんなところへ出かけることがよくあった。
知らない街を訪れたときは車を路肩に停めてマップルを広げる。父は眉間にしわを寄せながら、幅1ミリ程度で描かれた道を指でなぞり、よくわからないから進んでみよう、ということになって、結局同じところに戻ってきたりすることもあった。
そうやって問題なくたどり着いた時も、あるいは迷いに迷ってしまった時も、父は家へ帰ってくると決まって家用のマップルを広げていた。家の中にももう一冊マップルがあって、これは父がスーパーのチラシで作ったオリジナルのブックカバーで特別丁寧に扱われていた。僕も母も、また見てるわぁ、と言ってしばしばからかった。だけどいつも父はうーんと言って、特に気にするでもなかった。
一回だけ、聞いたことがある。
「お父さん、地図って面白いん?」
『面白いで』
「…見てても何が楽しいんかわからん」
『あの道の先はこうなってたんかぁ、とか、
こういったらもっと早かったんやなぁ、とか、
通らんかった道でも、そういうのがわかるのが面白いんや』
「ふーん」
このあいだ、地図で確かめながら箕面の滝に紅葉を見に行ってきた。
今の僕はGoogleマップを開きながら歩くことが多い。地図を見るのが好きというわけではないと思うんだけど、今自分が地球どのあたりにいるのかをみて、家からこんなに遠いのか…ということを実感することが好きなのかもしれない。
観光地によくある道端のお土産やさんと、その上階にあるふつうの住居。
いつも旅行にいったりすると、その観光地の観光地でないところに気が惹かれることがある。こういうよその人がたくさん周りに来るようなところで、ふつうに営まれる日常というのは、どんな感じなんだろう。
ベランダの引き戸の向こうには、マグネットがたくさん貼られた冷蔵庫があったり、まだすこし濡れているガラスのコップがあったり、そういう生活感の切れ端みたいなものがちゃんとあるのか、いや、あるんだろうけど、なんかもしかするとないのではという気にもなってしまう。
瀧安寺(りゅうあんじ)というお寺があった。奥に見える庫裏みたいなものは台風被害からの修理中らしい。空の雲が龍みたいだ。
装備をしっかりした人も、軽装のカップルも、お酒を片手に登る一団も、いろんな人と一緒に山道をずらずらのぼっていくと、30分ほどで箕面の滝にたどり着いた。
まだ紅葉はつきはじめのような感じ。滝がごーっと流れ落ちる音と、たくさんの人の声なんかをひっくるめて山の音だなと思った。
帰りの山道を下っていると、行きには気づかなかった脇道がいろいろあった。この道を行ったらどうなるんだろうと足が向きかけたけど、やっぱり家に帰ってからGoogleマップで確かめるか、と思い直すのだった。
今週のお題「紅葉」